広岡浅子の姉・三井春の生涯とは!?死因はいったい・・・?

NHK朝ドラあさが来た」で眉山はつ(宮崎あおい)の実在モデルになっているのが、三井春さんです。広岡浅子さんのである三井春(みついはる)さんの生涯についてご紹介していきます。また、様々な噂が飛び交う死因についてもお伝えいたします。

あさが来た「はつ」のネタバレを暴露!

 

三井春さんは、実は三井浅子(広岡浅子)さんの異母姉で、父は、三井高喜(みついたかよし)です。その三井高喜さんとも実子ではなく、養子という関係になっています。

 

そんな三井春さんですが、広岡浅子さんが加島屋の広岡信五郎(ひろおかしんごろう)さんのところに嫁いだ時と同じ時期に嫁ぎます。

 

嫁ぎ先は、大阪の今橋天王寺屋、大阪で最も老舗の大きく有名な両替商です。その大眉五兵衛(おおまゆごへえ)のところに嫁いだのです。

 



 

今橋天王寺屋は、江戸時代に手形の制度を創出し、信用機構の確立に貢献しており、「天下の台所」と呼ばれた大坂金融市場のシンボル的存在であった両替商です。

 

しかし、幕末の混乱期の影響は大きく、今橋天王寺屋はやがて倒産してしまいます。それは、大眉五兵衛が両替商という仕事にこだわったためでありました。

 

今橋天王寺屋が倒産後は、大眉五兵衛はなんとか家族を守るために天秤棒を担いで物売りに出ます。三井春も裁縫などが得意なので、縫物をしてなんとか家計の手助けをしていました。

 

そして、それまで、今橋天王寺屋に寄ってきた取り巻きは潮が引くように去っていってしまいます。

 

その状況でも、大眉春三井春)は、両替商がうまくいかなくなったとしても、主人の大眉五兵衛にあった商売は絶対にあるはずだと考え一生懸命、大眉五兵衛をサポートします。

 

明治で歴史の幕を閉じる今橋天王寺屋の主、大眉五兵衛を天王寺屋が落ちていっても支え続けていった女性、それが大眉春三井春)さんなのです。

 





 

大眉春三井春)さんは、明治の歴史から沈みゆく今橋天王寺屋の主、大眉五兵衛を支え続けた日本の古き良きやまとなでしこ。やまとなでしこという言葉がぴったりの女性です。

 

歴史の書物を見ると、三井春生涯は25歳で幕を下ろしています。その死因は、梅毒や肺炎などと様々な憶測が飛び交っています。ただ、25歳でなくなったこと以外は明確にはわからないようです。

 

今橋天王寺屋が歴史から消えていった存在なので、死因までは詳しくはわからない。それは、どうしても仕方ないことなのかもしれません。

 

あさが来たのはつの今後について

NHK朝ドラあさが来た」では、はつは母親の梨江(寺島しのぶ)からもらった土地で農業をするために和歌山に移り住みます。

 

原作にもないストーリーを脚本家の大森美香さんがどのように描いていくのか注目が集まりますよね。おそらく、朝ドラで25歳での死は描かないでしょう。

 

今後の惣兵衛(柄本佑)との関係や、姑の菊(萬田久子)との関係などオリジナルストーリーではハッピーエンドになれるのか?

 

あさ(波留)以外のサブストーリーに「あさが来た」を楽しくみるコツがあるのかもしれませんね。三井春大眉春)を実在のモデルにした眉山はつの今後に大注目ですね♪

 



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